「牡丹灯籠」 文学座  梅雨の日の演劇鑑賞

梅雨入りの日演劇を見ました。
雨降る中を会場に出かけました。
題名はあの怪談の「牡丹灯籠」です。

怪談ものの演劇は、ちょっとわかりにくかったです。
舞台装置はおどろおどろしい雰囲気ををよく工夫してありました。
でも、いまいち状況が分かりにくいところがありました。

一番わかりにくかったのはラストのシーンです。

源三郎は蛍の中に幻を見て切りかかり、暗闇で転んで自分に刀を刺してしまいます。
その源三郎にお国が抱きつき、源三郎を刺した刀がお国も刺してしまいます。
同じ刀に二人は一緒に果ててしまいます。
蛍の夜の様子が幻想的に工夫されていいたところはよかったです。

伴蔵が女房のお峰を殺そうとするシーンがなんか分かりにくかったです。
二人とも死んでしまうらしいのですが、お峰が殺されたところで終わってしまいました。
えっ?伴蔵は?
全員に天罰下るはずでは?ん?
と中途半端な感じで終わってしまいました。


雨の日だったせいもあって、なんだかじめじめとすっきりしない演劇でした。
こういうのはお噺で聴いた方が想像が働いて良いのかもしれないです。
でも、怖すぎるかも・・・

20180525



文学座 公演情報より

闇夜に響く下駄の音。
カラーン…コローン…と。
ご存知、三遊亭円朝の傑作落語を、杉村春子と北村和夫の名コンビで舞台劇化。
1974、86、95年と上演を重ね、98年には新橋耐子と北村で再演されました。
翻訳劇を母体とする新劇の歴史の中で、文学座は和服を着た日本人の感覚、
日本語の美しさを大切に「女の一生」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」といった作品を発信してきました。
「女の一生」に続いて鵜山 仁が新演出で取り組む文学座を代表する演目です。 


あらすじ

旗本飯島平左衛門の娘お露はふとした機縁で浪人萩原新三郎を見染め、恋い焦がれた末に焦がれ死に、乳母のお米もその後を追った。
それを伝え聞いた新三郎は念仏三昧の供養の日々を送っていた。
折しも盆の十三日、死んだと聞いていたお露とお米が幽霊となり、牡丹燈籠を提げて門口に立った。
二度と会えぬと思い詰めていた二人は激しく燃える。
お露がこの世の者でないと知ってか知らずか…。
一方、平左衛門の妾お国は、隣の屋敷に住む宮野辺源次郎と人目を忍ぶ仲。
家督を早く乗っ取りたく焦った二人は、奸計を巡らしつつ閨(ねや)の中。
そこを平左衛門に見つかるが、返す刀で平左衛門を切り殺し、江戸を出奔する。
さて、新三郎は夜毎お露と逢瀬を重ねていたが、この家に出入りをする伴蔵は、日毎に痩せ細る主人を見て、
これでは取り殺されると、新幡随院の良石和尚から死霊退散のお札を貰い、戸口や窓に貼りつけ、新三郎の海音如来の尊像を身に付けさせる。
――中に入れず牡丹燈籠は空しく萩原の家の周りを漂うばかり――新三郎に逢えぬお露の嘆き悲しみを見て、不憫に思ったお米は伴蔵にお札と如来像を取り除いてくれと頼むのだった。
それを知った女房お峰の入れ知恵で、百両の大金と引き替えに伴蔵がお札を剥 がすと、牡丹燈籠はうれしげに高窓に吸い込まれて行った。
それから時が流れ、また、盆がやって来た。
ところは野州栗橋宿。
そこには、関口屋という大店の旦那におさまった伴蔵とお峰の姿があった。


原作

三遊亭円朝 さんゆうてい・えんちょう

天保10年(1839年)~明治33年(1900年)。
江戸時代末期から明治時代に活躍した落語界の大看板。
多くの落語演目を創作。
折しも維新後のニュー・メディア「講談速記」により人気を博す。
滑稽話の他に『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などの怪談噺、「文七元結」などの人情噺、グリム童話を元にした「死神」など、今も様々な形で演じ継がれる名作を多く生み出した。
命日の8月には谷中の全生庵にて円朝まつりが行われる。


パンフレットより
あらすじ
円朝が口座で口演する怪談噺・・・

浪人萩原新三郎に焦がれ死にをした旗本・飯島平左衛門の娘お露と、
後を追って死んだ乳母お米が、灯籠を携えて新三郎を訪れる。
嬉しい逢瀬を重ねるが、二人が幽霊だと知った新三郎は、死霊除けのお札を張り巡らせた家に閉じこもる。
お露を不憫に思ったお米は新三郎の店子で、下男の伴蔵にお札を剥がしを頼みに来る。
震えおののく伴蔵に女房のお峰は今後生きていくための「百両」と引き換えに、ことを引き受けようと提案する。
大金を手に入れた二人は江戸を離れ。野州・栗橋で荒物屋「関口屋」を開く。

一方、平左衛門の妾・お国は情夫の源次郎をそそのかし。二人で平左衛門を殺してしまう。
離れられないお国と源次郎もまた栗橋へ。
「人盛んなる時は天に勝つとは古人の金言むべなるかな」
天また伴蔵に勝って、二人に罰を加えることに相成りますお噺