「気骨の判決」 

劇団俳優座  川口哲史 演出 で見ました。
1幕75分
2幕65分

とても素晴らしい内容でしたが、舞台が暗いイメージで、固定されたセットで会話で劇が進みました。
気が付いたら一幕は寝てしまいました。(^^ゞ
2幕はしっかり起きて見ました。
あの戦争の時代に、家族の配給を止められたり、非国民扱いされたり
特高が張り付いたりしながら、選挙無効の判決を下したのはすごいとしか言いようがありません。
5人の裁判官たちも弾圧を恐れて3対2で、意見が分かれました。
でも最終的には5人一致で「選挙無効」の判決を下しました。
実話をもとにした演劇でした。
NHKでドラマにもなったらしいのですが、私は知りませんでした。
戦争の時代にこんな日本人がいたのだと、驚きました。

一幕で寝てしまったのをもったいなく、そして申し訳なく思いました。
今回はジムで運動をした後だったので、台詞が子守歌みたいになってしまいました。
演劇の日の前はしっかり睡眠をとってから行かないとけないなと反省しました


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太平洋戦争中、国家総動員の空気が重くのしかかる中で、政府に逆らう判決を書いた裁判官がいました。
吉田久、命をかけて信念を貫いた裁判官です。

昭和17年、東條英機首相のもと、政府に全面的に賛成する議会をつくるべく、いわゆる「翼賛選挙」が行われました。
ここでは、政府に非協力的な国会議員を排除する意図があったとされ、国民の投票の自由を実質的に奪う露骨な選挙妨害が相次ぎました。
これに対して、各地から選挙無効の訴えが起こされます。
他の選挙無効の訴えが退けられる中、大審院(現在の最高裁)判事の吉田久は特高警察の監視や政府からの圧力に負けずに、唯一の「選挙無効」の判決を下しました。
そして、吉田久は判決を下した4日後に退職を命じられます。
しかし、戦時下にも関わらず鹿児島では、「再選挙」が行われました。


吉田久(よしだひさし)
 1884(明治17)年福井市生まれ。幼い頃から神童と謳われていた吉田は弁護士の書生をしながら東京法学院(現中央大学)に学び、その甲斐あって弱冠21歳の若さで見事に卒業年時の判事検事登用試験に合格し、司法官試補となって法曹の道を歩むことになる。
水戸地方裁判所を皮切りに、各地で検事を務め、1910(明治43)年東京区裁判所で判事となる。
1941(昭和16)年、大審院判事部長に栄進。1945(昭和20)年3月1日、戦争が激しくなる中、翼賛選挙に唯一の無効判決を下した4日後の3月5日退職を命ぜられる。
 戦時中にありながら、政府からの圧力に屈することなく、身命を賭して法に遵い正義を貫き通すという裁判官のあるべき姿を示した事実は、“伝説の判事”として裁判史上燦然と輝きを放っている。
戦後は貴族院議員に勅撰されるが、議員を退任した吉田は中央大学に復帰し、教授として迎えられた。(公園案内より)