ホスピスに入院している先輩に会いに行きました。

また少しやせていました。でも、目が子どものように澄んだ瞳でした。
穏やかな目で不思議でした。

先輩は週末に一時帰宅できることになりました。
午前中に自宅に帰って、午後には病院に戻るということでした。
それでも、嬉しそうでした。
私も、もう家には戻れないのかなと思っていたので、すごく嬉しかったです。

しばらくはその日を目標に頑張ることが出来ます。

でも、・・・・

ホスピスに来て二か月。もうそんなになるんですね。という話になって
奥さんが、
「すごくがんばっているよね。家にも帰れるし頑張ってね。」
と言いました。

すると、先輩が
「がんばるは・・・・どうかな~。先によくなるとか、治るというのがあるなら、がんばるっていうけど・・・。」
「僕の場合はそういうのはないからな~。それがつらいんだよ。」
私たちの顔を見てぽつりと言いました。
先輩の無念さが伝わって来ます。

今、先輩は死を迎えるホスピスに居ます。
私たちは掛ける言葉がありません。
でも、黙っていられなく
「弱気にならないでください。強気でいてください。そしたら免疫力が上がります。」
と言いました。馬鹿な私・・・。

私の言葉なんて気休めにもなりません。

でも、諦めたくない、少しでも希望があるのならそれにすがりたいと願います。
治療法がないなら。免疫力で奇跡が起こらないかなと本気で思ってしまいます。


奥さんが家に帰って、夕食が終わって、それからが長い一人ぼっちの時間です。
夜中に目覚めて、自分がどこにいるのか、何をしているのかがわからなくなって、混乱してしまうのだそうです。



この前来た時に、主治医の話になりました。
ずっとかかりつけの医者がいたのに、病気に気がついてくれなかったことを私たちが悔しがっていた時、
先輩がそれを聞いていて
「主治医って何だろう?こちらが主治医って思っていても、向こうにしてみたら大勢の中の一人なのかもしれない。 何をもって主治医と言うんだろう」
とぽつりと言いました。

「こちらが主治医と思っていても、医者はそう思っていないということですか?」
と私が言うと
先輩は頷きました。

気丈にしている先輩だけど、恨み言も言わない先輩だけど、
言葉では直接言わないけれど、会話の中で先輩の無念さを感じることがあります。
生きたいという気持ちと、現実の中で葛藤して苦しんでいるのだと思います。

それを見せない先輩に辛さ無念さを感じます。

敗