母の家のお祭りに行きました。
今年も、一緒に花火を見ることができました。


お宮にたくさんのお店が出て、夜には花火大会があります。
子供のころは、お小遣いをもらってお店で買うのが、楽しみで楽しみで仕方ありませんでした。
おもちゃやアクセサリーを買ったり金魚すくいをしたりと、5分ほどで行けるのでお宮に何往復したか分かりません。
そして夜になると、庭に椅子を出して花火を見ました。

お正月やクリスマスと同じくらいお祭りは楽しみでした。


でも、母はほとんど花火を見たことがありませんでした。お客さんが花火を見ている間にお料理を片づけたり次の料理の準備をしたりしていたからです。

私も大きくなるにつれ、お招きした親戚のお客さんへのお料理のお手伝いで、花火をゆっくり見ることはできなくなりました。
お店も、あまり行かなくなりました。

母にとってお祭りなんてちっとも楽しくなかったと思います。
父はお客さんと一緒にごちそうを食べて飲んで花火を見ます。
でも母はお料理は出すだけ、花火も見れません。
大きくなって、花火の間の料理の出し入れを手伝うようになり、お祭りに不満を感じるようになりました。。
母はこうやっていつも花火を見れなかったんだと、やっと私は気が付きました。
自分たちだけうきうきとお宮に行って、花火を見ていたことにやっと気が付きました。


そのうちに世の中が変わりだし、新しい娯楽が沢山でき、昔ほどお祭りは魅力的なことではなくなりました。
私たちも家を離れ、親戚を招くこともなくまりました。
両親が親戚を招かなくなったとき、私はホッとしました。
私は母がやっと解放されたんだと思えたからです。


父が亡くなり今年は母一人です。
母は席を立つことなく一緒に食事を楽しみ、花火を最初から最後まで一緒に見ることが出来ました。
昼間には兄が散歩に行こうと強く誘って、お宮に連れていきました。
足の弱った母はしぶしぶお宮に行きましたが、にこにことお土産に牛櫛を買って帰ってきました。
そういえば、母はお祭りの日にお宮に行ったことがなかったような気がします。
母にとって、お祭りのお宮に行ったり屋台で買い物をしたりしたのは初めてだったかもしれません。
お祭りに人を呼んでいた時は、数日前からお料理を用意して、お祭りの2日間はお料理やお酒の世話をして座る暇もありませんでした。


今は私たち子どもがお祭りの食事を用意しています。
母の家だけど母は主賓扱いです。
楽しそうに食べて花火を見ている母を今年も見ることが出来たことに、感謝の気持ちでいっぱいになります。
来年もいっしょに花火を見ようねと何度も思いました。


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