ルーヴル美術館展が6月1日に終わるとのことで、それは大変と 見に行きました。
前から見たかったのですが、時間のある時と思っているうちに会期が終わりそうになっていました。

久しぶりの新国立美術館でした。
もうすぐ期間が終わりのせいか、チケット売り場で20分入場で20分待ちました。
新国立美術館で、今まで待つことはほとんどなかったので、やっぱり会期末は混むんだなと思いました。

私のお目当ての作品は「フェルメールの「天文学」です。
フェルメールの残っている作品は少ないので、見れる機会のある時には、見逃さないようにしようと思っていました。

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フェルメールの絵の近くに行くと二つに人が分かれていました。
一つは作品の近くまで行けるけれども立ち止まってはいけない列。
もう一つは、その列の後ろから立ち止まって鑑賞してよい列。

歩くスピードが速くて通り過ぎただけで、見た気がしませんでした。
それで歩く列で2周しました。
そのあと、その列の後ろから立ち見しました。

思ったよりは人が少なかったので、あんなふうに歩かせてなくても・・・
せめてもう少しゆっくり歩かせてくれても良いのにと鑑賞の仕方に疑問を持ちました。
画集では何度も見てたので、やっと本物が見れると期待していたのにがっかりでした。
あんまり見た気がしませんでした。

展覧会のテーマは「日常を描く―風俗画」でした。
風俗画は絵画の中でも下位の絵画とされていて、絵画のジャンルとして認められるようになったのは
18世紀後半から19世紀にかけてだったそうです。

《物乞いの少年(蚤をとる少年)》
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《両替商とその妻》
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《オダリスク》
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確かに優雅ではないし、貧しさや娼婦などの題材も多かったけれども、たくましさや生身の人間を感じました。
そして、人物の周りの道具類や装飾品などに戒めや何かの象徴が込められており、画家たちはその絵に教訓的意味を描いてるとが多いことがわかりました。
だた見ていたら気が付かないことばかりでした。
私はいつもイヤホンガイドを借りることにしています。それを聞きながら鑑賞しています。

楽器やワインは恋愛
女性がリンゴをむく姿は勤勉
裁縫道具が床に散乱していることで家事の放棄 娼婦であることを暗示
などなど